2026年7月11日土曜日

保養施設「奏奏(sousou)」の2026年夏の保養のお知らせ(26.7.10)

2026年4月から装いを一新し、新たな保養施設としてスタートした「奏奏(sousou)」から、2026年夏の保養のお知らせ(2件)です。

1、8月3~6日の夏休み・親子保養キャンプ
以下の要領で、親子で保養キャンプをやります。先着であと1家族、募集中です。
 詳細情報は>こちら
 
2、夏休み保養受け入れ(2026年 7月20日〜8月31日)
4名までの「こや」の一棟貸し宿泊を以下の要領でご利用できます。
一泊1万円
 基本自炊なります。
 (「こや」の一棟貸し 通常料金一泊2万円)
※ 詳細情報 は>こちら

滞在中に、自然療法体験、よもぎ蒸し(その解説は以下を参照)を希望の場合はあらかじめ要予約です。
※  直前ですとスタッフが対応できないこともありますので、お早めにお申し込みください。
  資料
  保養施設「奏奏」の利用案内  自然療法案内    

    ^^^^^^^^自然療法体験、よもぎ蒸しの解説^^^^^^^^^^
自然療法体験
奏奏の保養滞在期間中、筋・骨格系の歪みを治す操体法と内臓の温熱療法を中心にしたセルフケアをお伝えします。

操体法はからだが痛い、不快を感じる方向と反対の、気持ちよい快方向にからだを動かすことで筋・骨格の歪みが正され、痛みなどの症状が消えていく運動療法です。内臓の病気にも筋・骨格の歪みの問題があります。毎日の生活の中でもからだは歪みますので、操体法の気持ちよさを十分に感じて、からだのつくりを理解し、日常生活の中で活用できるよう指導します。

からだの多くの内臓の中でも特に大切な肝臓、腎臓、脾臓などが弱っていると病気に罹りやすくなります。弱っている内臓はエネルギーが不足していますので、外部から熱を加えて内臓本来の働きを取り戻します。奏奏滞在中内臓の温熱療法を指導します。

排泄について〜よもぎ蒸し体験 〜
わたしたちは、生きるために毎日のように食事をして呼吸をしています。ます。それらの栄養物から、からだを構成する細胞を作ったり、からだを動かす、内臓にはたらいてもらう、ものごとを考える、といった生命活動にとって必要なエネルギーを得ています。

栄養素を利用するには、消化というプロセスを通じて食物を分解する必要があります。食物の栄養素がからだに吸収され、エネルギーに変換されると、次に老廃物の排泄が必要になります。排泄に関わる主な器官は、腎臓、腸、肺そして皮膚です。腎臓は尿、腸は便として老廃物を排泄します。また、肺からは二酸化炭素と水蒸気が呼気として、皮膚からは汗として老廃物が排泄されます。

知らず知らずのうちに食べ物から毒素を体内に取り込んでいるのが現代社会です。しかし、食べる行為が常に危険ととなりあわせにあることは、あまり認識されることはありません。現代人は化学物質、農薬、放射性物質などに気をつかわなければならない時代に生きていますので、からだに入り込んだ有害物質や、体内の代謝の過程で生まれた毒素を速やかに取り除き、健康を保つことが以前にも増して必要な時代になっています。

その意味において、食事、運動、手当てなどの日常的なケア、養生がとても大切になります。老廃物は、健康な身体であれば自然に排泄されるものですが、わたしたちは、食べすぎによる内臓の疲れ、ストレスの増大などにより、代謝機能、解毒して排泄する力が弱っています。特に解毒機能を担っている肝臓、排泄の要である腎臓、免疫系を司る腸などの内臓機能が低下していると、十分な排泄が行われません。

奏奏に常設している「よもぎ蒸し」は全身から汗をしっかり出して、毒素の排泄を促します。
ぜひ、滞在期間中、よもぎ蒸しを体験ください。


2026年4月23日木曜日

一般社団法人「信州 無何有の里」(旧NPOまつもと子ども留学基金)のクラウドファンディングの第一目標達成と第二目標の挑戦(2026年4月23日)

本年4月上旬からスタートしました一般社団法人「信州 無何有の里」(旧NPOまつもと子ども留学基金)のクラウドファンディング(申込みは>こちらから右側の「プロジェクトを支援する」をクリック)が、昨日、無事、第一目標(120万円)を達成しました。

ひとえに、皆さまの暖かいご支援のおかげです。これにより、民泊開業に向けた準備を進めることができます。心より御礼申し上げます。
募集期間が余すところあと1週間、被災者支援をさらに前へ進めるため、本日、第二目標としてセカンドゴール「150万円」を設定いたしました。
今回新たに設定しました **30万円の上積み分**は、以下の取り組みに活用します。
【夏の保養キャンプ(3日間)】
奏奏に滞在し、キャンプやワークショップを楽しむプログラムです。
【夏休み期間中の被災者支援】
8月は東日本大震災の被災者の方々を対象に、宿泊の優先予約や割引提供を行う予定です。

震災から年月が経った今も、不安を抱えながら暮らすご家庭は少なくありません。  
夏の保養キャンプは、子どもたちが安心して過ごせる時間をつくり、心身のリフレッシュや仲間とのつながりを育む大切な機会です
以上の詳細>こちらよりご覧いただけます。  

皆さまのご支援は、  
「また来たい」「ここが安心できる場所」  
と子どもたちが感じられる未来につながります。
もしよろしければ、セカンドゴール達成に向けて、引き続き応援いただけましたら幸いです。  
どうぞよろしくお願いいたします。

 なお、ネットからの寄付が諸事情により難しい方には、以下の法人の口座に直接、振込み頂けます。ご面倒をお掛けしますが、よろしくお願いします。
銀行窓口でする寄付

  

2025年6月8日日曜日

一般社団法人「信州 無何有の里」(旧NPOまつもと子ども留学基金)のクラウドファンディングの賛同のお願い(2025年6月8日)

NPO法人「まつもと子ども留学基金」が衣替えして、本年1月22日、一般社団法人「信州 無何有の里」が設立されました(そのHP>こちら)。その財政基盤確立のため、このたび、クラウドファンディングを行います。以下の呼びかけの文を一読頂き、賛同いただける方には、チラシに賛同人としてお名前を載せさせて下さい。

賛同人ご了解のご連絡や問い合わせ先は柳原敏夫 tonke*song-deborah.com*を@に変換して下さいまでよろしくお願いいたします。

         ***********************

災害日本が22世紀に残す恒久プロジェクトとして、

新たなスタイルで保養の第一歩を踏み出した「奏奏(sousou

この世界市民主導型公共事業の共力者になって下さい。

NPOまつもと子ども留学基金&一般社団法人信州 無何有の里

財政担当理事 柳原敏夫


雪の「奏奏(sousou)

新緑の「奏奏(sousou)

座敷で、漫画家ちばてつやさんが漫画を描く道具を説明するのに聞き入る寮生たち20147月) 

座敷で、音楽家松武秀樹さん山口美央子さんによるオルゴール(カナデオン)演奏会20237)

●時間軸の一変
福島原発事故はそれまでの私たちの暮らしや事故に対する認識を一変させました。それを端的に示したのがチェルノブイリで医療ボランティア活動に従事した前松本市長菅谷昭さんが事故の翌年出版した本の題名「これから100年放射能と付き合うために」。14年目はまだ入り口です。

日本が過去に経験したことがないこの過酷な事故の現実から目をそむけず、できることなら何でもやろうと、私たちは、2014年から、被災地の子どもたちが安心して生活し、遊び、勉強する場所づくりを目指して、自然の恵み豊かな信州松本市の北部四賀地区で留学事業を行って来ました。2020年3月、子どもたちが卒業して寮から巣立ったあと、私たちは留学事業スタート時の原点に立ち帰り、百年続く放射能との付き合い方について取り組むべき事業を再考した結果引き出されたのが、次の新しいスタイルの保養事業でした。

●保養の発見

私たちが、非力ながら、保養の可能性について全ての扉をたたく積りで模索する中でさしあたり見出したスタイルは、健康回復にとって最も基本となる呼吸(息)・食べる(食)・からだを動かす(動)・思う(想)のバランスを整えて、「食事・運動・芸術・休養」を統合した次の3つの保養事業です
①.従来型のキャンプなどの「自然体験型」の保養に加えて、

②.原発事故などに起因する心と身体の不調を「温熱手当て」や「よもぎ蒸しサウナ」などで取り戻す「養生型」保養を柱とし、

③.心の変調を整え、シンセサイザーやオルゴールの音楽などにより心に栄養を与えるいわゆる「芸術型」の保養を追加。

「自然体験型」の保養

「養生型」の保養


「芸術型」の保養

●公共事業の発見
原発事故は国難であり、その救済は国家的な公共事業です。だから、保養事業もまた公共事業です。のみならず、保養とは実は、原発事故の前から、本来、公共の社会福祉事業です。なぜなら、保養とは本来、市民ひとりひとりが自分の命の主人公になるために不可欠なものだからです。本来、保養とは、原発事故直後に恵みや施しとして与えられるものではなく、いつでもどこでも、人間として大切されることすなわち人権「生きる権利」の行使なのです。

●世界市民主導型の保養事業の実現に共力を

日本は明治以来、西欧にモデルにしてきたのに、保養については西欧の社会福祉事業を取り入れませんでした。これは保養が、人間として大切されること=人権の行使と認められなかったからです。しかし、保養が市民ひとりひとりが自分の命の主人公になるために不可欠なものである以上、保養は「生きる権利」=人権の行使であり、私たちの保養事業は公共事業です。国家が機能不全に陥り、この公共事業をサボタージュしている時、この公共事業を牽引するのは市民それも国境を越えた世界市民です。原発事故は国境なき災害だからです。この世界市民主導の様々な共力(=共に力を出す)こそ、私たちの始めた保養事業が誰もが享受できる当然の社会福祉=公共事業として承認させるための最大の原動力です。

その共力の最初の一歩として、クラファン(=募金)の賛同人になって下さい。

クラファンの賛同人のお願い
これからクラウドファンディング(クラファン=募金)を始めます。当面の財政基盤の確立のため、複数のクラウドファンディングサイトに打診し、最大で200万円を集める予定です。なので、皆さんの共力として、このクラファンの賛同人になっていただけないでしょうか。具体的には、

①.クラファン呼びかけのチラシに「賛同人」としてお名前・肩書を掲載すること。

②.ご自身のブログ、FB、SNSなどでクラファンの情報の拡散

③.協力していただけそうな方へのお声掛け

●世界市民からの賛同人

既に国内外の以下の方々から、クラファンの賛同人になって頂いています(順不同、敬称略)。

金 洪仙(「キム・ホンソンという生き方」著者)、姜 恵楨(韓国・通訳者)、宋 瑞文(台湾・フリーランサー)、マックシム・ポレリ(カナダ)、長谷川澄(カナダ・モントリオール)、わしお とよ(ドイツ・メアブッシュ)、コリン・コバヤシ(フランス)、小川晃弘(オーストラリア・メルボルン)、井戸謙一(311甲状腺がん裁判弁護団長)、今野寿美雄(子ども脱被ばく裁判原告団長)、わかな(「わかな十五歳」著者)、渡辺一枝(作家)、岡田俊子(脱被ばく実現ネット)、伊藤とも子(同)、渡邊久美(同)、宮口高枝(同)、冨塚元夫(同)、漆原牧久(同)、空野真澄(同)、阿部 健太郎(同)、柴原洋一(チェルノブイリ法日本版の会)、柴田政典(同)、郷田みほ(同)、酒田雅人(同)、松本徳子(同)、三宅征子(同)、三ッ橋トキ子(同)、村山敬子(同)、関久雄(ライフケア代表)、しゃがの会(郡山市)、後藤由美子(子ども脱被ばく裁判を支える会・西日本)、長谷川くみ子(同)、横山恵子(同)、蒲牟田宏(宝塚市)、近藤卓史(東京都・弁護士)、安藤耀顔(食思想者)、服部賢治(日本キリスト教団東北教区放射能問題支援対策室いずみ・事務局長)、稲葉奈々子(上智大学教員)、橋本佳子(ドキュメンタリージャパン)、矢ヶ崎克馬(つなごう命の会)、田中正治(新庄水田トラスト)、佐藤優(「ヒロシマ・ヤング・ピース・ビルダーズ」元代表)、平山朝治(自由な学問の会・代表)、笠原一浩(弁護士・大飯原発差止訴訟・福井弁護団事務局長)、中村信也(新聞記者)、山根昭平(原発避難者の住宅追い出しを許さない会)、小川正明(同)、北川真紀子(さいたま市)、島明美(福島県伊達市議会議員)、日野行介(調査報道記者)、五十嵐靖子(福井県越前市)、有馬克子(銀河のほとり)、牛山元美(医師・甲状腺がん支援グループあじさいの会共同代表)、小笠原学(支援交流『虹っ子』代表)、増田薫(松戸市議会議員)、赤坂 珠良(杉並区議会議員)、西中誠一郎(フリージャーナリスト)、朽木水(木こり)、生田まんじ(ミュージシャン)、飽本一裕(帝京大学名誉教授)、ちばてつや(漫画家)、山田 知惠子(脱被ばく実現ネット

 


一般社団法人「信州 無何有の里」のHP
http://sousou.pupu.jp/

保養施設「奏奏(sousou)」のリニューアルしたHP
https://sousou.pupu.jp/matsumoto/





2025年5月21日水曜日

一般社団法人「信州 無何有の里」(旧NPO松本子ども留学基金)からのご連絡・ご相談

私にとってちょっと大切なことで、ご連絡させて頂きました。
このたび、(2013年から「避難の権利」を福島の子どもたちの国内留学というカタチで具体化してきた)NPOまつもと子ども留学が衣替えして、一般社団法人「信州 無何有の里」として新たな保養事業に特化して新スタートを切ります。
小児甲状腺がんの患者さんたちや福島からの避難者の人たちにも活用して頂きたいと願っています。

当面、理事の借金で運営しているのですが、早く財政基盤を確立するために、このたび、クラファンを始めます。以下がそのご協力のお願いのチラシです。
チラシ(新法人の立上げ&クラファン賛同のお願い)

このチラシで、長々と一見ケッタイな文をしたためましたのは、
今度スタートする保養事業は私にとって、被ばくから逃れて健康を回復する脱「被ばく」の場にすることが第1の目的ですが、ただ、それにとどまらず、今、私たちの日常生活をくまなく覆っている「脳化社会」の抑圧的なライフスタイルから逃れて、心身を回復することを通じて、足元から、311後の人権侵害のゴミ屋敷と化した日本社会をどう再建するのかを見つめ直す再スタートの場(脱「脳化社会」の場)にすることがとても重要だと考えたからです。

長文で恐縮ですが、ご一読頂けたら幸いです。
そして、賛同人のご検討、よろしくお願いいたします。

一般社団法人「信州 無何有の里」のHP
http://sousou.pupu.jp/

保養施設「奏奏(sousou)」のリニューアルしたHP
https://sousou.pupu.jp/matsumoto/


追伸
昨夏、養老孟司の「脳化社会」論に出会い、私は311後の日本社会に対する自分の認識を一変させられる体験をしました(以下の備忘用のブログ)、
https://contemplationon311japansociety.blogspot.com/2024/10/24104.html

以来、311後の日本社会を考える上で養老孟司が最も重要な人物となり、彼の本を読み漁りました。
彼の「脳化社会」論が、今回の文章のベースになっています。
ズカッと言えば、この文章は養老孟司に捧げる積りで書いた文です。

2023年12月30日土曜日

まつもと子ども留学の再スタート(メニュー)「アーカイブ 」(第1稿)(23.12.30)

 アーカイブ(HPの過去の掲載情報の保存記録)

 メニューから
1、自己紹介
まつもと子ども留学プロジェクト
 
紹介記事・ブログ
 
2、主な事業
留学事業
 

3、留学情報
 

4、Q&A
質問回答

5、ENGLISH


まつもと子ども留学の再スタート(メニュー)「支援のお願い →会員登録・寄付のお願い 」(第1稿)(23.12.30)

 『表題』会員登録・寄付のお願い

トップ頁にも書きました通り、保養とは本来、市民ひとりひとりが自分の命の主人公になるために不可欠なもので、保養は原発事故直後に恵みや施しとして与えられるものではなく、いつでもどこでも人間として大切されることすなわち人権の行使です。そして、市民の人権の行使に対し、国はこれを保障する義務・責任を負います。従って、保養においても国は保養の実現を果たすべき義務・責任を負います。この意味で、保養は本来公共事業であり、国家が果すべき社会福祉事業です。しかし、2011年以降に実施されている保養は国の公共事業として行われることはありません。
今は志を持った複数の個人で、新たに発見した3つの柱の保養事業を運営していますが、それと並行して、新たに発見したコンセプト(人権の行使としての保養)が日本社会で承認されるように、これに向けて取り組んで参る積りです。私たちが発見した保養事業が公共事業、社会福祉事業として承認されるまでの間、この保養事業を持続的に維持するために、私たちに市民の皆さまの協力・応援をお願いする次第です。

お問い合わせは、080-4716-2011(事務局専用電話)へ。 

(以下は従来通り)

(以下の詳細は従前通り)  

まつもと子ども留学の再スタート「松本市」の紹介頁(第1稿)(23.12.30)

 松本市~「岳都」「楽都」「学都」

松本市は人口24万人の街。「岳都」「楽都」「学都」として愛されてきました。

北アルプス登山の玄関口として清涼な水と空気に恵まれた高原で(岳都)、
小澤征爾の指揮で有名なサイトウキネンフェスティバルやスズキメソード発祥の地でもあります(楽都)。
また、近代以来熱心な教育の歴史があり、学都と呼ばれています。

四季がはっきりとしていて、四季折々の風景やイベントが楽しめます。

松本市のホームページ

       「まつもと水巡りマップ2018」①お堀の水をたどる~後半より   

 

 

まつもと子ども留学の再スタート(メニュー)「リトリート情報 」(第1稿)(23.12.30)

 『表題』保養情報

1、「養生型」保養の紹介 
 
2、「芸術型」保養、その一例として「オルゴール」の紹介  

3、「よもぎ蒸しサウナ」の紹介

4、保養地域の紹介

 (1)、松本市

 (2)、四賀地区

まつもと子ども留学の再スタート(メニュー)「主な事業 」(第1稿)(23.12.30)

 『表題』保養事業

健康回復にとって最も基本となる呼吸(息)・食べる(食)・からだを動かす(動)・思う(想)のバランスを整えて、「食事・運動・芸術・休養」を統合した次の3つの保養事業です。
①.キャンプなどの「自然体験型」の保養に加えて、
②.原発事故などに起因する心と身体の不調を「温熱手当て」や「よもぎ蒸しサウナ」などで取り戻す「養生型」保養を柱とし(「養生型」保養の紹介はー>こちら、「よもぎ蒸しサウナ」の紹介はー>こちらまで)、
③.心の変調を整え、シンセサイザーやオルゴールの音楽などにより心に栄養を与えるいわゆる「芸術型」の保養を追加(オルゴールの紹介はー>こちらまで)。

まつもと子ども留学の再スタート(メニュー)「自己紹介→プロジェクト 」(第1稿)(23.12.30)

 『表題』新保養プロジェクト

◆はじめに
まつもと子ども留学基金は、2011年3月の福島原発事故をきっかけに松本市で作られたNPO法人です。2013年8月からスタートし今年で10年目です。
ひとたび原発事故が発生すると、それは従来の自然災害とは異なり、その影響は事故直後にとどまらず、私たちに長期にわたる未曾有の影響をもたらします。日本が過去に経験したことがないこの過酷な現実から目をそむけず、できることなら何でもやろうと、2014年から、汚染地に住む子どもたちの留学事業を行って来ました。

◆保養の発見
2020年3月に留学生が卒業したあと、ここ3年間はコロナ禍の中で、2011年以来日本で一般に行なわれてきた保養のスタイル(キャンプなどの自然体験)とは異なる、チェルノブイリ事故後の保養をモデルにした新しいスタイルの保養事業を模索して来ました。その模索の中で明確になったのが、健康回復にとって最も基本となる呼吸(息)・食べる(食)・からだを動かす(動)・思う(想)のバランスを整えて、「食事・運動・芸術・休養」を統合した次の3つの保養事業です。
①.キャンプなどの「自然体験型」の保養に加えて、
②.原発事故などに起因する心と身体の不調を「温熱手当て」や「よもぎ蒸しサウナ」などで取り戻す「養生型」保養を柱とし、
③.心の変調を整え、シンセサイザーやオルゴールの音楽などにより心に栄養を与えるいわゆる「芸術型」の保養を追加。

◆人権の発見
その中で、私たちはもう1つの発見をしました。それは私たちが発見した保養とは本来、市民ひとりひとりが自分の命の主人公になるために不可欠なものだ、ということです。保養とは、原発事故直後に恵みや施しとして与えられるものではなく、いつでもどこでも人間として大切されることすなわち人権の行使です。保養は本来公共事業であり、国家が果すべき社会福祉事業なのです。
しかし。2011年以降に実施されている保養は国の公共事業として行われることはありません。
今は志を持った複数の個人で、新たに発見した保養事業を運営していますが、それと並行して、新たに発見したコンセプト(人権の行使としての保養)が日本社会で承認されるように、これに向けて取り組んで参る積りです。

まつもと子ども留学の再スタート「タイトル」「キャッチフレーズ」(第1稿)(23.12.30)

タイトル:リニューアルまつもと子ども留学 

もしくは 第二期まつもと子ども留学 

もしくは、まつもと子ども留学の新たなスタート
 

 

キャッチフレーズ:チェルノブイリの保養をモデルした3本柱の新たな保養事業に参加しませんか

まつもと子ども留学の再スタート「オルゴール(カナデオン)」の紹介頁(第2稿)(23.12.30)

オルゴール(カナデオン)について

保養施設「なんだべ菜」に置かれたオルゴール(カナデオン)の紹介です。

 オルゴールの響きは健康な身体を育む!

保養施設「なんだべ菜」に設置してあるカナデオンは“オルゴールが奏でる音色”の意味で「奏音」と書いて「かなでおん」と読みます。

美しい音色で愛されるオルゴールはその独特の音色で楽しむためには、これまでは、同じ曲の繰り返しを聴くしかありませんでした。

保養施設「なんだべ菜」に設置してあるカナデオンは違います。
曲を演奏する。他の楽器と一緒に演奏する。
MIDI端子を搭載することによって文字通り“楽器として演奏できる”オルゴールです。

カナ
デオンは、これまでのオルゴールの概念を打ち破る全く新しい“楽器”として今後、保養施設「なんだべ菜」での定期演奏会を計画します。

是非、聴きに来てください。

2023年7月、「なんだべ菜」でのカナデオン演奏会

          




 

2023年12月26日火曜日

まつもと子ども留学の再スタート「養生型保養」の紹介頁(第2稿)(23.12.29)

私たち人の健康は「呼吸、飲食、身体活動、精神活動」という4つの営みの心地よいバランス、さらに人と人の関係や自然環境の心地よいバランスの上に保たれています。これらの営みとバランスは他の人には変わってもらうことはできませんし、すべて自分の責任のもとでやらなくてはいけないものです。
これらの営みやバランスが崩れると、からだの筋肉・骨格系の痛み、あるいは内臓の不調を訴えることがあります。
しかし、人には病気やけがを治す自己修復力があり、体調を崩しても身体に備わる治癒のシステムのおかげで健康を取り戻すことができます。
まつもと子ども留学基金の保養は、(1)、からだの歪みを治す操体法、(2)、内臓を元気にする温熱療法、(3)、そして栄養学に基づくバランスよい食事を基本に据えた保養を提案し、からだの回復力を取り戻すお手伝いをさせていただきます。


(1)、操体法〜からだの歪みを治す
生命が本来持ち合わせている「心地よいと思う感覚」をたよりに、快、不快を見分けて気持ちよい方向にからだを動かし、歪んだからだをもとに戻すバランス運動療法です。
からだが痛い、不快を感じる方向と反対の、気持ちよい快方向にからだを動かすことで
筋・骨格の歪みが正され、痛みやコリなどの症状が消えていきます。毎日の生活の中でもからだは歪みますので、操体法の気持ちよさを十分に感じて、からだのつくりを理解し、日常生活の中で活用して下さい。

            「なんだべ菜」で実施した操体法講座

(2)、内臓の温熱手当て
内臓の働きを活性化する温熱療法です。多くの内臓の中でも柱になる肝臓、腎臓、脾臓=胸腺を小さなアイロン、こんにゃくなどを利用して気持ちよく温めていきます。弱っている内臓はエネルギーが不足していますので、外からの気持ちよい温熱は内臓本来の働きを取り戻します。

             アイロンを使った内臓の温熱療法

2023年12月22日金曜日

まつもと子ども留学の再スタート「四賀」の紹介頁(第3稿)(23.12.29)

四賀について

保養施設「なんだべ菜」がある長野県松本市四賀地区。以下はその四賀の紹介です。

                HP「ハレホレ四賀」から

四方を山に囲まれ、緑豊かな里山に恵まれた四賀。

美味しい空気、清らかな水、あたたかく人情味あふれる人々、ゆったりと流れる時間・・・。

古民家が建ち並び、棚田が広がるのどかな景色は、

ふるさとの原風景、桃源郷を思わせます。

  手作りのお醤油を搾る子ども      古民家カフェ カメノ   

        

松本や安曇野の市街地から車で30分という立地でありながら、

トンネルをくぐり四賀に一歩足を踏み入れると、

そこは、空気感の異なる別世界・・・


会田富士と言われる虚空蔵山にハイキングに出かけたり、

美味しい湧き水を汲みに行ったり、

川辺で化石を探したり、

古民家をリノベーションした個性的なカフェやギャラリーを訪れたり、

源泉かけ流しの天然温泉を楽しんだり・・・


思い思いの楽しみ方で、のんびり過ごせる小さな田舎、四賀。


何もなくて全てがある豊かな土地で、

日常の喧騒をはなれ、

心身ともにリフレッシュされるひと時をお過ごしください。


まつもと子ども留学の再スタート「よもぎ蒸し」の紹介頁(第3稿)(23.12.30)

 よもぎ蒸し「pokke(※1)          

よもぎ蒸しの設備(電気コンロ・よもぎパックを煮出す鍋・穴の開いた椅子・マント)
実演中(鍋からの蒸気でマントの中がサウナになる

韓国では、昔から、産後の肥立ちをよくする家庭のお手当として「よもぎ蒸し」が行われてきました。ハーブの女王と言われる「よもぎ」は、日本でも食用として、またお灸やもぐさなど、日々の暮らしを支える薬草として様々に使われてきました。


「よもぎ蒸し」は、よもぎを煎じ、その蒸気が出る専用の椅子に、首から下をすっぽり包むマントを着て座り、全身を温める温熱療法です。煎じた薬草の成分を体内に取り入れることにより、自然治癒力が高まり、代謝促進、汗と共に老廃物が排出されます。


保養施設「なんだべ菜」では、デトックス(※2)効果が高いといわれる「よもぎ蒸し」を、セルフケア、リトリートのプログラムの一環として提供しています。


身体と心がぽかぽかと温まり、ゆるむ心地よさ、ご自分の身体と会話をするほっとしたひとときをお楽しみください。


ゆっくりお茶を飲みにくるような気持ちで、「pokke」を訪ねていただけたら幸いです。

 

よもぎ蒸しの部屋「pokke
              

(※1)「pokke」はアイヌ語で「あったかい」

皆さんが身体と心を温めることができる場所でありますようにという願いをこめて・・・

(※2) デドックスは英語で「解毒」

毒素を体内から取り除くことを目的とする治療法のこと。


2023年12月9日土曜日

まつもと子ども留学の再スタート「保養の発見」そして「人権の発見」(トップ頁案V.3)(23.12.30)

【はじめに】

核兵器の使用と原発の事故は21世紀最大の人災で、その影響は私たちの日常感覚と想像を絶する、計り知れないものがあります。しかし、何とかしてこの過酷な現実に向き合おう、というのがNPOまつもと子ども留学基金の創設以来の変わらぬスタンスです。
そして今、留学生が卒業した今、改めて、まつもと子ども留学のこのスタンスに立ち帰って、やるべき事業を再考した結果引き出されたものが、年明けにリニューアルするHPの冒頭に掲げる以下の文です。

再スタートする「まつもと子ども留学基金」の取組みに、引き続き、関心を寄せて頂けたら幸いです。
どうぞよろしくお願いたします。

             保養施設の前景(2023年6月)

 ********************************

 「保養の発見」そして「人権の発見」

まつもと子ども留学基金は、2011年3月の福島原発事故をきっかけに松本市で作られたNPO法人です。2013年8月からスタートし今年で10年目です。

1991年から5年半、チェルノブイリ事故の被災地で医療ボランティア活動に参加した前松本市長の菅谷昭さんが「チェルノブイリ事故の教訓」のインタビュー記事上記の著書「これから100年放射能と付き合うために」で紹介している通り、ひとたび原発事故が発生すると、それは従来の自然災害とは異なり、その影響は事故直後にとどまらず、私たちに長期にわたる未曾有の影響をもたらします。日本が過去に経験したことがないこの過酷な現実から目をそむけず、できることなら何でもやろうと、2014年から、汚染地に住む子どもたちの留学事業を行って来ました(→寮開設時に、市長時代の菅谷昭さんが寮を訪問した記事)。

◆保養の発見
2020年3月に留学生が卒業したあと、ここ3年間はコロナ禍の中で、2011年以来日本で一般に行なわれてきた保養のスタイル(
キャンプなどの自然体験)とは異なる、チェルノブイリ事故後の保養をモデルにした新しいスタイルの保養事業を模索して来まし
た。その模索の中で明確になったのが、健康回復にとって最も基本となる呼吸(息)・食べる(食)・からだを動かす(動)・思う(想)のバランスを整えて「食事・運動・芸術・休養」を統合した次の3つの保養事業です。
①.キャンプなどの「自然体験型」の保養に加えて、
②.原発事故などに起因する心と身体の不調を「温熱手当て」や「よもぎ蒸しサウナ」などで取り戻す「養生型」保養を柱とし、
③.心の変調を整え、シンセサイザーやオルゴールの音楽などにより心に栄養を与えるいわゆる「芸術型」の保養を追加。

◆人権の発見
その中で、私たちはもう1つの発見をしました。それは私たちが発見した保養とは本来、市民ひとりひとりが自分の命の主人公になるために不可欠なものだ、ということです。だから、保養とは、原発事故直後に恵みや施しとして与えられるものではなく、いつでもどこでも人間として大切されることすなわち人権の行使なのです。ところで、国は市民の人権の行使を保障する義務・責任を負います。従って、保養においても
国は保養の実現を果たすべき義務・責任を負います。この意味で、保養は本来公共事業であり、国家が果すべき社会福祉事業なのです。
もともと保養は西欧の歴史の中で転地療法として発展し、特にドイツでは温泉療養をベースにした社会福祉施設として運営されて来ました。一方、日本では明治以降にサナトリウムが結核の転地療養として導入されましたが、それが現在まで、健康を回復するための社会福祉制度として整備されることはありませんでした。2011年以降に実施されている保養も国の公共事業として行われることはありません。
今は志を持った複数の個人で、新たに発見した保養事業を運営していますが、それと並行して、新たに発見したコンセプト(人権の行使としての保養)が日本社会で承認されるように、これに向けて取り組んで参る積りです。私たちが発見した保養事業が公共事業、社会福祉事業として承認されるまでの間、この保養事業を持続的に維持するために、私たちに市民の皆さまの協力・応援をお願いする次第です。            

 

2018年2月4日日曜日

反戦・非暴力の思想を生活の中でカタチにした阿波根昌鴻さん。それが協同組合。(18.2.3)

311の福島原発事故を経験したあと、それまで手にし、接していた思想、芸術が全く意味を失い、どうでもいいものに思えた一方、かつて手にし、この間すっかり忘れてしまっていたものが改めて目の前に迫ってくるものがありました。
その1つが阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんと彼の「米軍と農民」「命こそ宝」です 。



阿波根さんは1901年3月3日、沖縄本島の本部村山川に生まれました(伊江島の対岸の赤マーク)

家は明治維新で没落した貧乏士族の出で、農業を営んでいましたが、阿波根さんは農業をやる気になれず、幼い頃から学問に憧れを持ち、勉強して先生か勤め人になろうと思い、父に上級の学校にあげてくれと頼むと、父は
「学校を出て貧乏になるのと、学校に行かずに金持ちになるのとどちらがいいか」
と聞きました。即座に、阿波根さんは、自信満々にこう答えました。
「学校も出て金持ちにもなります」(「米軍と農民」7頁)

17歳の春、沖縄県立嘉手納農林学校に入学。本部村から嘉手納(下の地図の赤マーク)まで馬車の運賃60銭を節約するため、10里(約40キロ)の道を父と机や寝具をかついで朝未明に出かけ、夜9時に到着。

しかし、この遠路を重い荷物を背負って歩行したためか、阿波根さんは神経痛となり、2ヶ月もしないで休学。大分別府で牧師宅に世話になり温泉治療し、1年間過ごす。
沖縄に戻ったものの、農業は好きでなく、どうしても勉強したいと思いながら金がないため、どうすることもできず、そこで上京を決意し、東京でアルバイトしながら学ぶ積りで、ひとまず大阪までの旅費を工面して大阪まで行き、東京までの旅費は大阪で働き作ることにしようと思っていた矢先、関東大震災が発生。東京は壊滅と知り、東京行きを断念、再び沖縄に戻る。

学校に行けないと失意の底にあった時、キューバ出稼ぎの募集があり、「キューバで稼いで、その金で高校から大学まで行こう」と決意し、25歳、キューバに渡航。
しかし、当時のキューバは名目の独立国で、実権はアメリカが握り、アメリカに同調する一握りを除いて人々は奴隷のような生活をしていました。 阿波根さんも年に3~4ヶ月の製糖期だけしか仕事がなく、荒地から荒地へ渡り歩く生活を5年間続け、そこからペルーに向かいました。
ペルーで日本人が経営する床屋に勤め、その頃からどうしても沖縄に帰らなくてはと考え、死に物狂いで働き、生活は服はゴミ捨て場から拾ってきた物を着て倹約しました。
ところが、友人が結核になり、妻子の顔を見て死にたい、だからどうしても沖縄に帰らなければならないということで、今まで必死の思いで貯めた金1000円をそっくりその彼にあげてしまいました。
それからもう一度、必死にお金を貯め、ようやく700円を作り、あと必要な300円は盛大な送別会をする代わりに選別としてもらい、それで、10年ぶりに沖縄に帰ってきました。
何一つ土産も持たず、つぎあてのボロの労働着だけを記念品みたいに持って帰りました。
その頃はもう学問への夢も破れ、唯一、ペルーの古本屋で求めた西田天香の「懺悔の生活」の言葉だけで生きてきました。
日本に着くと、すぐ京都山科の一燈園に西田天香を尋ね、「一燈園の同人になりたい」と申し出たところ、西田に「あなたは沖縄に帰って農業をした方がいい」と言われました。そこで、阿波根さんは「自分は身体も弱く、土地もなく、農業の経験もない」ことを話しましたら、西田はこう言いました。

土地も経験もいらない。ただ1つ大切なことは、あなたが私欲のために働くか、それとも社会のために働くか、それによって成功するか失敗するか決まる。社会のために働くならばすべて必要に応じて与えられる

阿波根さんはこの言葉を胸に刻み、そのあと、内村鑑三らが設立した沼津市の興農学園でデンマーク式農業を学び、理想の農村を築こうと沖縄に戻ってきました。父から伊江島に渡る費用30銭を借りて、どうにか伊江島に渡り、住む家もないので、住民が南洋に移住し幽霊が出ると嫌われた空き家を借りて住み始めました。
当初はその日その日をどうにか食いつなぐ生活でした。やがて、親戚から金を借りて小さな雑貨店を始め、その売り上げで、島でいちばん安い捨て地をせっせと買い込み、4万坪(東京ドーム約3個分)の原野を手に入れ、試行錯誤しながらどんどん木を植え、4万坪の原野を森林に変えました。

この理想に向かって取り組む姿を見て、伊江島の人たちは、彼を「頭がおかしい」きちがい扱い、変人扱いしました。 しかし、彼は自分で正しいと信じておりましたので、周囲の声を気にすることはありませんでした。

阿波根さんは4万坪の大森林に、 賀川豊彦が立ち上げた農業協同組合、生活協同組合を築きたいと、「キビを沢山植えて、伊江島の製糖工場の力になればという生産の夢」を持ち、「ヤマトの寒い時期に、お年寄りたちに来てもらい過ごせる保養地にしたい」夢を持ち、全寮制、学費無料の理想のデンマーク式農学校の建設も進み、8割方完成した頃、この小さな島にこの夢を打ち砕く事態が起こりました。


太平洋戦争で、米軍が沖縄で最初に攻撃した島が阿波根さんの伊江島だったのです。このときの「神も仏もいない」惨状を、こう記しています(「米軍と農民」15~16頁)。


                    「命こそ宝」8~9頁より

しかし、伊江島での激戦が終わり、運良く生き残った阿波根さんたちはそれで戦争は終わったわけではなく、本当の苦しみはその後も続いたのです。それが「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる米軍による土地の強制的な取り上げでした。

1954年9月、米軍は阿波根さんたちの真謝区の150坪の土地接収と150戸の立退きを通告しました。これに対し、生きていけなくなるからやめて下さいと苦境を訴えた陳情書を持って琉球政府らに訴えましたが、阿波根さんたちが血のにじむ思いで苦労して作った陳情書は2度も琉球政府の机の中にしまわれたままでした。当時の阿波根さんたちを襲った「孤独感に耐えられぬ思い」について、以下のように書いています(「米軍と農民」80頁)。



1955年3月14日、米軍は、81戸の土地を奪い、阿波根さんたち13戸の家を「銃剣とブルドーザー」で破壊し、奪った土地に鉄条網と「立入り禁止」の札を立てました。




しかし、土地を奪われた阿波根さんたち農民は、生きるため、翌月から、立入り禁止区域に入り農耕を開始。


 これに対し、米軍は、6月13日、演習地に無断で立ち入ったとして、農民80名を逮捕、暴行、奴隷的な屈辱を加えた上、働き盛りの32名を選んで軍用機で嘉手納基地に運びました。翌14日、32人に対する即決軍事裁判がゴザ警察署内で行われました。結果は3カ月の懲役、1年の執行猶予判決。しかし、釈放された農民たちは島に帰らず、琉球政府の役所前で座り込みの抵抗を続けます。
その頃、伊江島の女性たち5人が、自発的に、 琉球政府の役所前で座り込みの抗議行動を起こします。これを撮影した阿波根さんはこう思ったという。

私はこれを見たときにですね、これがほんとうに沖縄の心。守礼の邦の人間。そして、私は伊江島にはまだほんとうの人間が住んでおるという言っておったわけでありますが、これが本当に沖縄の心、伊江島の人間の姿であると思っております。
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そして、その翌月7月から、生きるため、また世間に伊江島の実情を訴えるため、
乞食をするのはずかしい。しかし、我々の土地を取り上げ、われわれに乞食をさせる米軍はもっと恥ずかしい
とプラカードに書いて沖縄本島縦断する「乞食行進」開始し、翌年2月まで続けます。



このあとも、米軍による人権侵害と農民による抵抗がくり返されます。生きるために、農民は立入り禁止区域に入り農耕を続行すると、米軍は立入り禁止区域への通行証を発行し、農民に渡そうとします。しかし、農民はこの通行証の受け取りを拒否します。通行証を受け取れば土地明渡しを認めることになるからです。さらに、農民は米軍が取り上げた土地に立てた「立ち入り禁止」の立て看板を引き抜き、そこに「地主以外の立ち入り禁止」の看板を立てました。そして、米軍が張り巡らした金網も撤去しました。こうした農民の抵抗に対し、米軍は農民の逮捕、投獄で応酬し、米軍による蛮行が続きました。これは米軍と農民の根気くらべであり、米軍の侵害にひるまなかった農民に対し、米軍はジワジワと立ち入り禁止区域の後退を余儀なくされていきました。


阿波根さんたちがやってきたことは反戦=「命こそ宝」という思想を「非暴力」で貫き通すことでした。

問題はどうしたら、この反戦・非暴力=土地返還を求める抵抗運動を、とび抜けてずる賢い米軍との知恵くらべ、根気くらべに負けずに、粘り強く持続できるかということでした。阿波根さんはそのための条件を考え抜き、その中で、
1つは米軍の悪知恵に負けないだけの智慧を身につけること、そのためには学ぶことの大切さを自覚し、実行すること(事実、 阿波根さん自身も、65歳で東京の中央労働学院に入学)、

もう1つは「生活を大事にすること」、具体的には、人々が経済的にも対等に助け合う、「みんなで働き(協同労働)、みんなで運営する(協同経営)」という協同組合の創設に取り組みました。
その際、身体の不自由の人や弱い人も対等に一緒に働ける場所を作ろうと考え、琉球大学の生協の人たちからサポートしてもらい、70年、伊江島の中央に鉄筋コンクリート3階建ての生協会館を建設しました。
それは太平洋戦争で挫折を余儀なくされた、「賀川豊彦が立ち上げた農業協同組合、生活協同組合を築きたい」という戦前からの取組みの再開でした。

参考情報:
阿波根昌鴻さんの年表(一般社団法人「わびあいの里」作成)

非暴力の抵抗を持続した「阿波根昌鴻と島ぐるみ闘争



 

2018年2月1日木曜日

もうひとつの復興は可能だ--モンドラゴンの可能性の中心--

日本政府がチェルノブイリ法日本版を制定しないため、福島原発事故で放射能汚染された地域の住民には避難の権利が保障されず、その結果、汚染地の人々は
一方で、避難できず、放射能により命・健康が脅かされるか、それとも
他方で、避難するが、避難先で暮らしが保障されず、貧困に脅かされるか、
という「貧困の脅威のもとで命・健康を守るか、命・健康の驚異のもとで暮らしを守るか」という、命・健康と暮らしが両立しない途方もない苦境に追い込まれました。

この苦境を作り出した張本人である日本の政治及び政治家の責任というものは残忍酷薄、重大極まりないもので、いずれ、必ずその責任が追及される日が訪れます。

しかし、汚染地の人々は、その日までずっと、じっと我慢する必要はありません。
命・健康と暮らしを両立させる、もうひとつの復興は可能だからです。
それが「モンドラゴンの挑戦」です。70年前、スペイン内戦で敗北し、荒廃し、見放されたスペイン・バスク地方の寒村モンドラゴンで、28歳の神父アリスメンディアリエタたちが始めた、「みんなで働き(協同労働)、みんなで運営する(協同経営)」モンドラゴンの協同組合による経済再建の取組みです。
これがやがて、世界金融危機が訪れた2008年、むしろ14,938人の新規雇用を創出して‥‥奇跡を起こしたスペイン第9位の企業になりました。

モンドラゴンの人たちは言う--モンドラゴンはユートピアではないし、自分たちも天使ではないと‥‥ただ一緒に生き残る賢明な道を探しただけだと。》(映画「モンドラゴンの奇跡」)

  
もともと、福島原発事故に加害責任を負う日本政府は、自らの加害責任を果たし、住民の救済を実行する責任があるのは言うまでもありません。
しかし、すべてを政府におんぶにだっこで、政府による救済をもっぱら受け身で待つことが本来の救済ではありません。その救済は「住民が経済的に自立する」というゴールを目指し、それに向かって住民が真に前進できるように、政府が支援、サポートするものでなければなりません。

「住民が経済的に自立する」という目標をただのうたい文句ではなく、生きたカタチにした1つが、「みんなで働き(協同労働)、みんなで運営する(協同経営)」という協同組合です。「人はバラバラでは外敵に対し孤立・無力だが、連帯したときは負けない」という単純な真理の経済への応用です(以下はそのイメージ図です)。

これに対し、今まで、人に雇われて仕事をしてきたことはあっても、経営した経験なんかないから、無理だと尻込みする人がいるかもしれません。でも、心配ありません。生まれながら経営者だった人は1人もいません。みんなゼロから出発したのです。学ぶ意欲と勇気さえあれば大丈夫。モンドラゴンの人々もこう言っています。

モンドラゴンの人たちは言う--モンドラゴンはユートピアではないし、自分たちも天使ではないと‥‥ただ一緒に生き残る賢明な道を探しただけだと。》(映画「モンドラゴンの奇跡」)

私たちも、勇気を出して、一緒に生き残る懸命な道を一緒に探しましょう。 そして、経済的にも精神的にも自立しましょう。それが「もうひとつの復興、モンドラゴンの挑戦」を再定義し、私たちの未来をカタチにすることです。

保養施設「奏奏(sousou)」の2026年夏の保養のお知らせ(26.7.10)

2026年4月から装いを一新し、新たな保養施設としてスタートした「 奏奏(sousou) 」から、2026年夏の保養のお知らせ(2件)です。 1、8月3~6日の夏休み・親子保養キャンプ 以下の要領で、親子で保養キャンプをやります。先着であと1家族、募集中です。 ※  詳細情報...