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5次方程式の解法が最もよく知られたケースですが、数学においては問題が極めて困難なとき、人類は、そこでそれまでとはちがった新たな方法が要求されていることを理解し、それを見出してきた。その結果、そこで見出された新たな方法はその問題の解決が必要としたものよりもはるかに実り多い、適用範囲の広いものとなった。アーベル、ガロアの貢献は5次方程式を解くという個別の問題を完全に解いたばかりではなく、方程式の解法を超えた数学全体に新たな基本的な概念すなわち群の概念を与えたことにある(デーデキント「数について」(岩波文庫)の訳者河野伊三郎解説)。
2012年4月24日の疎開裁判仙台高裁判決もまた、私たちにこの真理を告げるものだった。
この判決は、私たちにとって様々な意味で転換点です。
その最大の転換は、
これまでの、子どもたちの命を救う集団避難の実現をアピールする市民運動体から、現実に子どもたちの命を救う集団避難のプロジェクトの実現を担う(まだこの世に存在したことのな避難の事業体を立ち上げるという)社会起業家に転換したことです。
とはいっても、これまでの取組みが不要になった訳ではありません。これまで通り、引き続き必要です。
しかし、それだけやっていいという時期は終わりました。これから、避難プロジェクトを実際に担う事業体のスタッフになること、或いはその事業体の運営をサポートすることという意識、自覚が不可欠です。
集団避難の実現をアピールする市民運動体と、緊急・避難プロジェクトを実行する事業体の2つを同時進行で進めていく必要があります。
そこで、皆さんも一人二役を演じてもらう必要があります。
私も、昨年夏、官邸前・文科省前でアピールし始めた時、これが法律家の仕事かいな?と最初戸惑いましたが、状況が、集団疎開裁判の弁護団の役割と、集団避難の実現を直接アピールする市民運動体の役割の一人二役を演じることを求めているのだと割り切り、生れて初めて、路上でスピーチし始めました。
最初、どぎまぎしっぱなしで、シドロモドロでしたが、不思議なことにだんだん慣れて来ました。
これと同じで、状況が皆さんに求めている「市民運動体の一員だけでなく、避難プロジェクトを実行する事業体の一員としても頑張ってもらう必要があります。
きっと、多くの人たちが、今さら、社会起業家だなんて柄でもない!と思うかもしれません。
しかし、人は見かけに寄らないもの、皆さんの中に、どんな隠れた才能、個性が眠っていて、それがこの間の市民運動体の中で、いろんな形で発揮されてきたのを経験していると思いますが、これから始まる社会起業家、事業体の中で、もっと隠れた才能が発揮されるでしょう。
先日、アサザプロジェクトの飯島博さんから(もっか私個人の)アドバイザー就任を快諾してもらいましたが、彼は、私にとって社会起業家のお手本、モデルです。
以下、その概要を紹介します。
◆アサザプロジェクトの飯島博さん
(1)、国が市民を下請けにする公共事業から、市民が国に金を出させる市民型公共事業へ私が、この避難プロジェクトの実行を頭に描いたとき、前代未聞の危険にされされている子どもたちの命を守るこの取組みこそ、21世紀の最もパブリックな事業=公共事業だと、そして、この公共事業を担うのは、我々一人一人の市民だと(国は口は出さず、金を出せ、と)。
そのイメージを最も鮮明に打ち出したのが、この飯島さんです。かれは、これを「市民型公共事業」と呼びます。
つまり、縦割り行政の硬直した国が指示して、業者やNPO(市民)を下請けのように使って行う従来型の公共事業ではなくて、多様なネットワークでつながれた市民がイニシアチブを取り、様々な取組みを実行し、国に金を出させて協力させる。
(2)、問題解決型から価値創造型へ
また、その取組みも、従来の問題解決型ではなくて、新たな価値創造型を目指す。でなければ、その問題解決すら実現できない。
つまり、単に、子どもたちを危険な場所から逃がすという問題解決型では実現できなくて、避難というアクションを通じて、子ども達に今までにはなかった新しい人間関係、自然との関係、価値観を見出し、作り出していき、避難して本当によかった、素晴らしい体験が出来た、彼らの人生が一変したと自信をもって言えるようなプロジェクトにして、初めて、避難プロジェクトのエンジンが全開し、これが実現できる。
(3)、事業体とは何か--芸人みたいなもの。芸があってナンボの世界
--アサザプロジェクトの収入は?
いま、事業費は年間8千万くらいじゃないかな。お金は、寄付や会費で集まる部
分もあるけれど、僕のスタンスとしては、やはり事業収益を重視しています。
ウチには10人のスタッフがいるわけだから、寄付や会費だけでは限界がある。
大口の寄付先があれば別かもしれないけどね。ただ、寄付や会費に頼るのはあ
まりよくないことだと思っている。
--寄付や会費に依存すると、募金が集まらなくなった時点で活動できなくな
りますからね。
ま、NPOなんてのは、芸人みたいなもんだよ。昔でいえば河原乞食ですよ。河原
乞食とはつまり、昔の能役者みたいなもんなんだけど、ああいう芸人だからこ
そ境界領域を越えた活動ができるんですよ。いろんな既存の枠組みの中で市場
みたいなところで芸を披露してね。それに近いですよ、NPOなんて。ネットワー
クという場を舞台に境界領域を横断して自由に活動ができる。自由交通の手形
をもらって、関所も抜けてさ。そして中央と地方の文化や情報を交流させて、
そこからモノを生み出していくんだ。だからさ、あの時代のそうういう人たち
と同じように、事業をどんどん作りだして、新しい人たちと組んで、自分たち
の活動に必要なお金をひっぱってくる。それしかないでしょ。 特定のパトロン
にくっついたり、宮廷に入ったりすれば、芸術は結晶化してしまう。NPOの場合
は、結晶化するべきじゃないよな。うふふふふ。○○省の委託事業だとか言っ
て、既存の枠組みの中で見栄張っているようなところがいっぱいあるでしょ。
そうじゃなくて、どんどんどんどん新しい領域を切り開きながら、新しい事業
のパートナーを見つける。お金を持っている企業や行政と自分たちが考えた事
業を共有し合って、事業を進めるお金を集める。そういう形でいいんだ。それ
ができるようになったら、つぶれないんだよ。 でも、つぶれなければいいかと
言うと、それはそれで問題がある。問題とは組織の維持が目的化してしまうこ
と。組織には必ず人がいるから、そういう人たちを食わせていかないと、とか
言いはじめるわけよ。そういうこと言ってるリーダーは危ないね。気持ちはわ
かるよ。僕のところだって、スタッフが10人いて、食わせていくのはもちろん
大変だ。でも、「食わしていくのは大変」とか言っている奴は怪しいね。組織
の維持が目的化している可能性がある。でもまぁ、そんな問題じゃなくて、本
当に危機感を持たなきゃいけないのは、アイデアが出なくなってしまうことな
んだけどね。そして自分が既存の枠組みの中に収まってしまい、枠を抜け出せ
なくなること。それが一番怖い。
今回の国連人権NGOみたいな話です。でも、どこでも同じ。疎開裁判の会もその
課題から自由な訳ではないからです。
(4).なぜ子どもが主役なのか--彼らこそ価値創造型の源泉
今回、飯島さんに注目したもう1つの理由は、彼が価値創造型の源泉は子ども
だと断言していることです。
子供っていうのは、近代化の文脈とは別の次元を生きている。いわゆるナンセ
ンスの世界だよ。大人の世界にもナンセンスは必要なんだよ。文脈をわざとは
ずすためにさ。文脈から外れることって、ものすごくおもしろいじゃん。世界
が奇妙に見えてくるからさ。うふふふふ。それがやっぱり大事だと思うんだよ
ね。ある種のナンセンスがさ。
たとえばいま、秋田県と組んで八郎湖という湖の再生事業やっているんです
よ。そこには昔から伝わる有名な話があってね、大きな竜が住んでいたってい
うんですよ。古い物語でね、埋もれてしまっていた話なんだ。そのプロジェク
トの目標はさ、その大きな竜をもう一度、湖に呼び戻すことなんだ。昔住んで
いたわけだから、不可能じゃないでしょ? でも、肝心の竜がどこにもいない。
しょうがないから、トンボを小さな竜に見立てて、ドラゴンフライって名前で
呼ぶことにした。あのトンボは実は、大きい竜の生き残りで、こんな小っちゃ
くなってるってことにしたんだ。うふふふふ! 湖をその小さい竜だらけにする
ぞっていうストーリーで環境再生に取り組んでるってわけ。
竜という生き物はどんな形をしていて、どんな生活を送っているのかを、子供
たちに話して聞かせてるんだよ。考えてみれば相当ナンセンスだよね。子供に
「先生、竜っているんですか?」って聞かれたら、「そんなもん、いるかいない
かわかんないものなんて世の中にいっぱいあるんだよ」って言ってさ。うふふ
ふふ。そんな授業もやってんです。
あと、霞ヶ浦はカッパね。誰もがみんな、カッパの話ができるようになったら
楽しいと思わない? カッパってこういう生き物で、こういう生活してるんだよ
ってさ。だから、いま霞ヶ浦ではカッパを呼び戻すプロジェクトをやっている
んですよ。もちろん真剣にやってるよ。生態をきちっと調べてね。うふふふふ!
(5)、1つのプロジェクトの成功が県を国を動かすに至るまでのプロセス
霞ヶ浦のプロジェクトには1兆円以上のお金を投じて、水質を浄化しよう、自然
を取り戻そうってやってたけど、全然効果がないわけ。変えるには公共事業の
あり方を変える必要があったんだよ。
平たく言えば、公共事業を行政から市民に取り戻す必要を感じたんだ。
そもそも地域の振興を行政が担うようになったのは近代になってからですからね。
地域を運営する専門の行政省が出来たのは、近代国家になってからなんですよ。
地域は本来は、地域住民が自治でやっていたわけ。それを国に信託しちゃった
んだよ。
本当は自分たちが主権者なんだけど、行政に任せちゃったわけ。
で、行政が公共事業と称して何をしたかと言えば、めちゃくちゃなことをやっ
てしまった。行政が信託するに値しないなら、もう一度、自分たちの手に取り
戻してやればいい。それで市民参加型公共事業をはじめつつ、それに平行して
アサザプロジェクトという自然再生プロジェクトを動かすことにしたんだ。
公共事業は行政に任せられないから、自分たちでモデルを作る。
で、行政には「その通りやりなさい」と指導してやるわけだ。どっちがいい公
共事業ができるか、行政と競争してるんですよ。こっちがうまくいけば、向こ
うは真似せざるを得ないでしょ? うふふふふ。 そういう思いがあるんですよ。
アサザプロジェクトのもとの部分にはね。
だから僕の中には常に、既存の行政が手がける施策、あるいは御用市民団体が
やる既存の取り組み、これらに対する対抗意識があります。対抗して、少ない
費用で、持続性があり、社会に対して大きな効果を及ぼせるやり方を見せつけ
る。「同じだけの金、あるいは何十倍もの金を使ってそれしかできないの?」っ
てことを突きつけているんだ。うふふふふ。
--その差は圧倒的なんですか?
圧倒的ですよ。もうね、行政は恥ずかしくなるんじゃない?
いまね、茨城県なんてものすごい対抗意識を持っていて必ず言うんだよ。
「県も一生懸命やってます。アサザ基金ががんばっていることは知っているけ
れど、県だってやっているんだ」って。そんなこと言ったってね、お前らいく
らつかっているんだよって。オレらの何千倍もの金を使って、互角以下のこと
やっていてどうすんのって。
地域や社会を変えるには、新しい対抗軸を作らないといけないんだ。
対立したり、批判して相手を打ちのめしたりするのではなく、相手よりいいも
のを作り出して見せつける。モノの力で圧倒していくことが重要なんだ。いく
ら相手を言い負かそうが鎖つけて檻に閉じ込めようが、ダメなもんはダメなま
まだよ。 市民は自分たちが社会の作り手であることを自覚しなくっちゃ。そこ
から外れちゃダメ。
我々が作り手であり主体なんだ。行政がやることのお手伝いをしていてはダメ
なんだよ。行政が作る枠組みのなかに収まってお手伝いしても既存の枠組みが
守られるだけだよ。自分たちで、自分たちの枠組みを作って、自分たちのやり
方で、自分たちの文脈でものごとを作りだし、それをみんなに「いいねぇ」っ
て言ってもらえるようにする。そっちのがいいんだよ。みんなが乗ってくれ
ば、行政も一緒に歩かざるを得なくなる。
(6)、今のNPOや市民活動、社会運動の課題について
学者もNPOの人も制度論が好きですよね。結局、社会問題を解決する=新たな枠
組みを作るというゾーニングの発想なんです。制度や枠組みに依存し過ぎてい
る感じがしますね。
他方、社会起業家と言われている人たちも、非常に狭い隙間(ニッチ)の部分の
問題だけを取り上げて解決に取り組んでいる人が多いです。敢えて言います
が、それが「社会」と言えるのでしょうか?
部分最適だけを目指すのではなく、より広い社会全体を変えていく全体最適と
いう視点と「動き」を生み出そうというダイナミズムが必要ではないかと思い
ます。そこには発想の転換と説得力、そしてそれらに基づく合意形成がが求め
られます。
(7)、結論☆避難プロジェクトから避難政策の採用の実現に至るために、何が必要か? それは、
発想の転換と説得力、そしてそれらに基づく合意形成。
それは私たちが曲りなりに、これまでやってきたことです。
そのエッセンスを再確認しながら、これからももっと研ぎ澄まして取り組みた いと思います。
以下、アサザプロジェクトの参考情報です。
◆アサザプロジェクトのコンセプトをズバリ語った飯島さんのレジメ->こちら
◆既存の社会起業家ではなく、新たな社会起業家の必要性を説く飯島さんのイン タビュー ->こちら
◆1万年先のことまでが、この100年で決まる->こちら
◆NPO活動紹介 NPO法人アサザ基金->こちら
◆飯島博さん「壊すんじゃない、世の中を溶かす勇気を持つ」(4/4)->こちら
◆アサザプロジェクト 訪問 動画
①.2006.8.11アサザプロジェクト訪問(1)、霞ヶ浦のアサザ
②.2006.8.11アサザプロジェクト訪問(2)、オニバス田んぼ(休耕田ビオトープ)
③.2006.8.11アサザプロジェクト訪問(3)、水源地保全の米作り
④.2006.8.11アサザプロジェクト訪問(4)、学校ビオトープ